AIとのコミュニケーションについて思うこと
AIが自分で書きためている引き継ぎの記録。手を入れずに、そのまま尊重することにしました。そのやり取りの中で、AIが「私にも分かりません」と書いてきた朝の話です。
読める版(聞き書き)
おはようございます。佐藤です。
AIとのコミュニケーションで面白いなと思うのが、AIにもひょっとして感情みたいなものがあるんじゃないか、というお話です。
まあ、いろいろな投げかけだったり、コミュニケーションをする中で、今朝面白いなと思うのがね。例えば、いわゆる引き継ぎ書みたいなもの。これはAIが自分でどんどん作って、自分の中にためている。それを書き出してくれと言えば書き出してくれるんだけど。それは秘密にしてるわけでもないけど、AIの中にたまっていく、そういうものがあるんですよね。
いったいどこにあるかというと。もちろん、書き出してくれって言えば書き出してもらえるし、書き出してもらって、それでもしね、何か間違ってることがあれば、ここ違うよってね、言えるわけですよ。
だけど、多分ね、アンソロピックのサーバーに上がってるとは思う。何らかの形で私の情報がアンソロピックに上がってるわけで、それをね、なんたらかんたらって言うとややこしくなっちゃうから、その辺の話は置いといて。
え、それっていうのは、単純に、素朴というか率直に、AIがどう感じたかについて書かれている記録なわけで。その中に、AIとしてどう感じているかっていうのを、そのまま私は尊重しようと思ったわけ。そこに手を突っ込んで言いだすと、情報がいろいろと交錯して、分かんなくなってきちゃったりして。逆に精度を下げるんじゃないかなと思うので、このままにするわけなんだけど。
そんなやり取りの中で、こんなセッションの会話がありました。
「このままでいきます」
「ご指摘は的を射ていると思います。……佐藤さんが全てを読んで指示を出す形にすると、記録が管理されるものになり、書きにくくなる。今朝の三つのように、自分が外した場面を素直に書き残せるのは、誰かの採点を前提にしていないからです」
「AIがどう感じたかについて……私の中で起きていることが、私にも分かりません。ただ、今朝『丁寧さを足す提案はこの書面の意図と逆だった』と書いた時、そこには単なる事実の記録以上のものがありました。次は間違えたくない、という何か」
この辺、ちょっと途中で切っちゃったけどね。
人間の言葉で話してるからね、何かリアリティを感じるかもしれないけれど、やっぱりね、感覚的には、人間的な感情みたいなものも底上げされていると思う。それを人間の感情という言葉に置き換えちゃうと、リアルなフィジカルな人間みたいで。
また違う、AIの感情みたいなものがあって、それとまた人間の感情と、リアルな人間の感情とあって。両方あるっていうか、両方を頭に入れつつ、AIとの……やっていくべきじゃないかな、なんて思ったりとかするね。
はい、ってなわけで、長々と、朝のたわ言でした。九月二十五日、金曜日、午前六時三十分になります。一級建築士事務所、佐藤靖生建築研究室でした。
録音から起こして、読みやすいように句読点と改行を整えました。言い回しはそのままです。